専修学校
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OBOG INTERVIEW母校は不登校であった経験と、高等専修学校での3年間の努力を活かせる職場

杉林 優子(すぎばやし・ゆうこ)さん

武蔵野東高等専修学校教員(家庭科担当)

学校法人武蔵野東学園 武蔵野東高等専修学校 文化教養高等課程 芸術科 絵画コース
(日本福祉大学 社会福祉学部 社会福祉学科)

今の仕事の内容は?

武蔵野東高等専修学校で、2年生のクラス担任をしながら調理製菓を教えています。普段の仕事内容としては、教科指導、またはその準備だけではなく、日中は生活指導や保護者の方と連絡を取り、保護者会や各行事の準備、書類作成など多岐にわたります。特に本校にはプランノートという先生と生徒の交換日記のようなものがあり、空き時間は、ほぼそのプランノートの返信書きに時間を割いています。

今の仕事を選んだきっかけは?

私はもともと本校の卒業生です。そして、中学時代はあまり学校に足が向かない生徒でした。6歳上の姉も不登校を経験しており、その姉が毎日通い無事に卒業をした武蔵野東高等専修学校を母が紹介してくれたことがきっかけで本校に入学をしました。そして、3年間いろいろなことがありましたが、中学時代の遅れを取り戻し大学に合格。教員免許を取得し、4年間の修業期間を経て本校に帰ってきました。

自分自身の「不登校であった経験と、高等専修学校での3年間の努力を活かせる職場」と考えた際に最も適していたのと、本校に勤めることが、自分の人生、ひいては支えてくれた多くの方々に報いることである、と考えたことが職業選択のきっかけ、そして決め手でした。

今の仕事のやりがいは?今後の夢や目標は?

現在、本校に奉職して9年目を迎えるのですが、卒業生を2回送り出しました。その教え子たちが立派に働いている姿や、節目に連絡をくれたりするととてもホッとします。また、保護者の方と意思疎通が出来ており、タッグを組んで子どもの教育に注力している実感が持てると、とても心強くやりがいを感じます。今後の目標は視野を広く持ち、生徒たちの進路活動を行っていきたいと考えています。

卒業した専修学校を選択した理由は?

不登校を経験して、母に紹介されたのがきっかけです。
実は私の姉も卒業生なんです。
最初の印象は、とても丁寧に物事を教えてくれる場所だと感じました。
筋金入りの不登校だった私が大学に進学し、また帰ってくることができたのも、この学校の教えや環境があったからこそだと思っています。一生の仲間や思い出を作るのは、自分の努力次第だと思います。

専修学校時代の思い出は?

本校は発達障がいのある生徒と健常な生徒が共に学ぶ学校なのですが(本校では混合教育と呼んでいます)、健常な生徒は重度の障がいのある生徒と校外学習や学年での行事の際にペアを組みます。そのペアの事をバディ(相棒)と呼ぶのですが、そのバディと出逢ったことがとても印象深く残っています。それと、部活動での思い出も色濃く残っていて、不登校を経験してきた私にとって3年間ラグビー部のマネージャーを続けることが出来たのは自信にも繋がりましたし、何より人間関係を学ぶのには最適な環境でした。

学校での学びが活かされている仕事の場面は?

前述した通り、ラグビー部のマネージャーという経験を通して培われた気遣いや忍耐強さ、またケガなどイレギュラーな事が起きた際の冷静な対応は、現在の仕事にも活きているのだと実感しています。また、高校生年齢という多感な時期に障がいのある生徒と共に学べたことは、現在の混合教育を指導する際にとても役に立っています。そして、何より「相手の立場になって、寄り添いながら物事を多角的に捉えていくこと」を意識出来るようになったのは、教師としてだけでなく人として成長をさせてもらったと強く感じています。

~ 未来の後輩へのアドバイス ~

技術よりも人間性を磨くことが将来の職業に繋がります。技術があっても人として未熟すぎては職場で働き続けることは困難になってしまいます。具体的には苦手な事や面倒くさいことから逃げずに、まずは挑戦をして真剣に取り組むことが今を変える第一歩です。 将来は無限に広がっています。ですが、何もしないままでは徐々にその道は狭まってきてしまいます。その道を広げ、多くの経験を積むためには、周囲の話によく耳を傾けてみてください。そして、職業の技術を学ぶだけでなく高等専修学校での3年間で人間としても大きく成長できるように、ということを意識し、目標としてみてください。

2021.06.04

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